2017年2月1日水曜日

やや日めくり憲法 21条(表現の自由)

 今日は21条「表現の自由」をご紹介します。

 表現の自由、時には「言論の自由」ともいいますね。...
 言う、歌う、踊る、小説を書く、批評を書く、マンガを描く、絵を描く、お芝居をする、映画を撮って上映する、写真にうつす…路上パフォーマンスをする…人が自分の感じたこと、考えたこと、訴えたいことを「表現」する方法はたくさんあります。


 表現したいことを、表現したい方法で、表現したい時に、表現していい。
 これが、「表現の自由」です。およそ民主主義国家の憲法では必ず保障されている人権です。


 表現の自由の「意義」は2つあると言われています。1つは自己実現の意義。自分らしく生きる(なりたい自分になる)ためには、言いたいことを自由に表現できることが不可欠です。
 もう1つは、自己統治の意義。難しい言葉ですが、つまり「自由にものが言えないと、民主主義が成り立たない」ということです。知識・情報を得て→考え→議論し→また思索し→改めて意見を述べ→それを誰かが聞き、あるいはまた新たな情報を得て…。民主主義という政治システムは、「議論」が本質なので、この→のサイクルが正常にまわっていることが絶対条件です。国民一人ひとりが政治についての意見を自由に表明できることは、民主主義の根幹なのです。
 このサイクルをよーく見ていると、自分で考えてものを言うためには、そもそも正確な情報を自由に知ることができなければ元も子もないことが分かります。そう、表現の自由には、必要な情報をゲットするための「知る権利」も含まれます。「知る権利」の保障のために、情報公開法や条例が整備されてきたわけです。


 さらに、「知る権利」が保障されるためには、マスメディアが政治権力や社会的権力をしっかり監視して国民に正確な情報をどんどん発信できなければなりません。マスメディアの「報道の自由」は、国民の表現の自由と民主主義と強く強く結びついているものです。
 
 個人の尊厳や民主主義といった「近代の価値」と直結する表現の自由。逆に言えば、表現の自由が権力に侵害されると、民主主義や個人の尊厳がダイレクトにダメージを受けることになります。
 特定秘密保護法が、ほとんどの軍事情報を『特定秘密』にして国民やマスメディアから隠したり、マスメディアが権力と仲良くなって政府にとって都合の悪い報道をしなかったり、ここ数年の日本の民主主義の「劣化」は、表現の自由の危機そのものなのです…。

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