2017年2月4日土曜日

やや日めくり憲法 24条

おじいさんとは写真1枚で結婚した。結婚式の日に初めて会った、写真のとおり男前だったけど背が低すぎてショックだった(笑)
おばあちゃんからこういう話を聞かされて育った方は多いのではないでしょうか。
「女は父に従え、嫁いでは夫に従え、老いては子(長男)に従え」って昔は言われてたんだよ、とも。
あの『ベルサイユのばら』で、貴族であるオスカルと、その従者(平民)アンドレとは、身分が違うので結婚することが許されませんでした。もしもあの時代に日本国憲法24条があったなら、2人は幸せになれた・・・かもしれません。


9条などと比べて地味といえば地味な規定ですが、
24条は、「ひとりひとりが大事。それぞれがそれぞれの幸せを追い求めながら生きていく権利がある」という13条と並んで、日本国憲法の中核にあるといっていい、大切な規定です。
私たちは誰と結婚してもいい。
誰がどんなに反対しようとも、本人たちさえ合意するのなら、駆け落ちしたって婚姻届は必ず受け付けられる。
夫婦は対等なパートナー。
家庭の中でも、ひとりひとりの人格が、生き方が、尊重される。
こういうことを宣言しているのが、24条です。

そんなのあたりまえじゃん!って思いますか?
でも、つい最近まで、婚外子は相続で差別されていました。今でも、結婚したら夫の姓を名乗る女性が96%もいますが、これは差別ではない、憲法違反ではないと、最高裁はま~だ言っています。
なにより、女は家庭を守るもの、というような意識は、まだまだこの社会の中にしつこく残っていますよね。
税制や社会保障制度からしてそういう前提ですし、女性の賃金や待遇を低く押さえる職場がむしろ普通なのが現実。

憲法ができて70年、24条のおかげで、親がいつの間にか決めてきた相手と写真1枚で結婚させられる、なんてことこそなくなったけれど、24条にはまだまだ、果たしてもらわなければいけない役割がたくさんなんです。

ところが!
この24条は9条と並んで、いわゆる「改憲勢力」が何十年来、虎視眈々と狙い続けてきた改憲テーマなんです。
「24条は行き過ぎた個人主義だ。わがままな女性の身勝手で離婚する夫婦が増えて、”家族の絆”が弱まったのは24条のせいだ」
そして2012年に発表された自民党改憲草案では、
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」
という規定の追加が提案されました。

家族が助け合うのなんかあたりまえじゃん、別に問題ないじゃん!…って、思いますか?
でもこういう規定が「憲法に」あるっていうのは、
「介護?保育?生活保護?自分の親くらい自分で面倒みなさいよ、自分で産んだ子でしょ自分で世話しなさいよ、家族が生活に困ってるなら助けなさいよ、国や社会に頼るんじゃないよ!」
…ていう意味なんです。
そもそも「社会の自然かつ基礎的な単位」は「個人」、ですね(13条)。
これを、「家族」単位にしてしまおうというもくろみって、なんだかキナ臭くないですか?
戦前、「家制度」ってあり、「戦争遂行」のために、この制度が大いに活用されたんです。

「家制度」のもとでは、家族ひとりひとりがそれぞれの考え方をもち、自立した個人として生きることは許されませんでした。
今、「家族断絶防止法」とか「家庭教育支援法」だとかいう法律案が次々と出されようとしていて、いくつかの自治体では「三世代同居」を推進する施策も行われています。
家族を大事にしたっていいけれど、ひとりひとりの人格(個人)を否定するものではだめだと、そう思いませんか?
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